解脱-束縛からの自由


■ 解脱の第一番目の資格条件 - 気性


人間が享受することのできる最高の祝福は、おそら「解脱」でしょう。しかし解脱は誰もが得られるものですが、かといって簡単に得られるものでは決してありません。なぜならそれはレコード盤から聞こえてくる歌を聴きながら、歌手に直接出会うようなものだからです。 ですが、それほど難しく考える必要はありません。なぜならすでに解脱を得た人たちがいるとすれば、皆さんもまた得られないわけがないからです。そして、今この言葉が解脱の第一番目の関門です。もしこのような心の気性がなければ、解脱を求めてはいけません。これが解脱するための第一番目の資格条件です。


多くの人たちは、結跏趺坐をして座って瞑想すれば解脱すると思っています。強いて解脱ではないとしても、宇宙の根本世界を体得できると考えています。 もちろん宇宙の根本世界が「水」とすれば、そしてその水の煮立っている状態が今の心情とすれば、そのように結跏趺坐をして座って瞑想すれば、その心情が静かになることはあります。そうかといって、その静かな状態が「水」であることを知り得るわけではありません。ですから釈迦以来多くの禅師たちが、瞑想を通じて宇宙の根本世界を体得することはないと話しました。 瞑想は解脱ではなく、ただの休息にすぎません。そして、そのように座っている姿は仏ではなく石仏なのです。 私たちはそれでもこのような過程を経て「釈迦」がいて、どれほど良かったか分かりません。もし釈迦がいなかったら、今いる数多くの瞑想家たち全てが解脱した人であると錯覚していたことでしょう。そしてそのようにしている本人も、自身の本当の姿をはっきりと知ることはできなかったでしょう。 瞑想はただ解脱後に心を集めるためや、あるいは精神的な休息をとるために必要なもので、解脱するための過程では決してありません。


宇宙の根本エネルギー世界!私たちの心もそれと同じものです。だから、私たちはその根本エネルギーを通じて作用の影響から離れることができるのです。これがまさに「解脱」です。


■ 霊魂の束縛 - 習氣


宇宙の根本エネルギー世界!私たちの心もそれと同じものです。だから、私たちはその根本エネルギーを通じて作宇宙の根本エネルギーは自ら作用を起こし、伸びて行く気運と引き寄せられる気運を同時に持っています。そのため引き寄せられる気運が粒子を集めると今目の前に見える物体となり、伸びて行く気運がその物体を分散させると、物体は壊れて消え去るのです。 そして私たちの心も同様に、引き寄せられる気運が目の前の世界を私たちの体の中に引き込むと、私たちは見て、聞いて、においをかいで、それらを認知するのです。そしてこのように引き寄せられたものたちの中で意識活動が起こると、それがつまり今皆さんが考え、判断する精神作用です。の影響から離れることができるのです。これがまさに「解脱」です。


もうひとつ、伸びて行く気運はわれわれの体を動かす作用をします。この伸びて行く気運の核心を「霊魂」と言いますが、霊魂は反応し、行動するだけで、考えることのできる意識作用がありません。だから私たちは霊魂を無意識と言います。 そしてこのように考え、判断する「意識」と、行動して動く「霊魂」は、互いに異なる二つではなく、まさに「一体」です。ですから、自意識が行くと考えれば、霊魂が体を動かして行くようになるのです。 瞑想を通じて静かになった心は意識活動が休んでいる状態です。そのためこの状態は自身を自覚することができません。水は水ですが水だという事実を分からないのです。 そして行動する霊魂は、その行動を反復し続けると、霊魂に刻印され無意識的にそのような行動を繰り返すようになります。これは霊魂自らが自身を拘束しているわけです。 そして、私たちが死ねば思考する意識は消えてなくなっても、霊魂は残り続け再び生まれ変わります。時折テレビで3歳の子供がギターを上手に弾いたり、上手に歌を歌ったりするのは、そのような生涯を生きて死んだ人が、再び生まれ変わったためです。


見方によると、幼い子供がギターを上手に弾いたり上手に歌ったりするのは神童のようでよさそうですが、事実はこのように霊魂に強く刻印されたものがまさにその人を拘束する霊魂の束縛となります。あたかも退屈しのぎに煙草を一、二度吸うのを繰り返していくうちに、霊魂に刻印され止められなくなってしまうようなものです。 このように霊魂への刻印は自らを拘束する自身の束縛です。もし皆さんが次の生で、それでもよい才能をもって早くに成功したいのであれば、このように一生懸命霊魂に刻印すればよいのです。才能とはこのように霊魂に刻印された機能を言っているのです。そして、この機能がまさに皆さんを束縛する「拘束」でもあります。


本来宗教の創始者たちは、このような束縛から脱するための「道」を教えました。なぜなら、このような拘束から脱することが「解脱」であるからです。しかし、それ以後の弟子たちが師匠のように解脱できず、言葉だけを伝えたためにおかしな律法を作り、むしろ人々が拘束されています。日曜日に教会に行かないと地獄に行くとか、あるいは木魚を叩き仏典を覚えなければ極楽に行けないとか、そのような話です。 つまりこのような律法は人を拘束から解放させるための「解脱」ではなく、むしろ人々を自らの団体に縛り付けておくための束縛なのです。 解脱とは、拘束された霊魂から離れ、また意識活動を失わない宇宙の根本エネルギー全体を体得することです。仏教ではこれを「頓悟」と言います。 そしてこのような宇宙エネルギーを体得すれば、あらゆる障害から影響を受けませんが、それでも今まで生きてきた霊魂の作用があり、その作用が現れ続けます。これを仏教では「習気」と言い、習気はつまり霊魂に刻印された習慣を言います。 昔中国の孔子が老子に会いに行ったことがあります。その時老子は孔子に次のように尋ねました。「「はい」と応えるのと「うん」と応えるのとでは何が違うのだ?」と。孔子は礼儀を教えるために「はい」と応えることを教えました。


事実、「はい」も「うん」も同じ意味です。しかし「はい」にとらわれて生きていれば、これがまさに拘束であるため人生は束縛を受けるようになります。ですから、老子は孔子に「はい」と応えるのと「うん」と応えるのとでは何が違うのだ?と尋ねたのです。 人間社会では「礼儀」が重要である場合もあるが、結局死んだ後にはそれがまさに「拘束」であれば、君はその束縛からどうやって脱するのだ?と老子は尋ねたわけです。一言で、人間社会における礼儀は、天の国では束縛にすぎなのです。 今日この講義を聞いている皆さんは、この題目を注意深く吟味するようにしてください。愛と律法は異なります。愛は伸びて行く宇宙の気運ですが、律法は皆さん方を拘束する「束縛」です。そして、このように律法に縛られて生きれば、それがまさに「地獄」です。 そして天の国には天国も地獄もありませんが、このように律法に縛られて生きればそれがまさに地獄です。ですから、老子は孔子に「はいと応えるのと、うんと応えるのとでは何が違うのか」と尋ねたのです。


▲趙州禅師が止まっていた栢林禅寺のチョウセンゴヨウ

■ 解脱は現実


解脱は別の言葉で「漏盡通(ろじんつう)」とも言います。あらゆる障害から脱したという意味です。この言葉はつまり皆さんの記憶でさえも皆さんを束縛することはできないという意味です。 皆さんは今現在から考えるのではなく、引き寄せられる気運が引き込んだ世界の中で思考をしています。そして、このように過去の中で考え、判断することを「自意識」と言います。今皆さんの考えは自意識であり、自意識はつまり過去のものなのです。ですが、解脱は現実です。過去に縛られずに現実を正しく感じ生きることです。解脱をせずに生きる人生は、全て過去に生きることなのです。 昔中国に趙州禅師がいました。ある日趙州が室内に入ろうとしたとき学僧が尋ねました。「達磨が西方から来た理由は何でしょうか?」・・・ 頓悟とはどんなものでしょうか?悟りとは何でしょうか? 趙州が答えました。「庭前の柏樹子」 人々はこの言葉の意味をありとあらゆる解釈を尽くして話します。そして全て間違った話です。事実、この言葉の意味はとても簡単です。当時、趙州が滞在していたところの庭に柏木がありました。ですから、趙州は「庭前の柏樹子」と言ったのです。その意味は「目の前にある現実こそが道なのだ」という意味です。 昨年(2016年)、この柏木が発見されたと中国で発表されました。あの写真を見てください。

そしてそこには7本の柏木があったそうです。ですから人々はまた争い始めました。「この柏木こそがあの柏木だ」「いいや、その柏木だ」と。これこそが解脱できない自意識たちの苦悩です。どの柏木が重要なのではなく、現実それ自体がまさに真理なのです。 解脱はあらゆる障害から離れることです。そのための条件は、障害に陥らない高い「気性」を持たなければなりません。 私はそんなはずはないと思いますが、釈迦が生後7日目に7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と叫んだと言います。そして、老子もまたその気勢が優れた人でした。 たとえ学んだ学識はなくても、人を見下ろすかのような慧能もまた高い気性の所有者でした。その他にも達磨、趙州、黄檗、臨済、馬祖、南泉、雪峯に至る全ての禅師たちは自身を乗り越える高い気性の持ち主でした。 ですから、講義のはじめに高い気性が解脱の関門であると話したのです。そしてこのような気性を備えてこそ現実の困難も乗り越え、自分という愛着からも離れて、「自意識」と「霊魂」の作用を受けずに宇宙最初の根本エネルギーを知ることができるのです。 そして、こうした宇宙エネルギーを体得することを「頓悟」「大覚」「神仙」「悟り」などと表現します。


■ 慈氏仏の出現


昔釈迦が生きていたところは、階級主義社会でした。バラモンと王族、そして平民と奴隷がいました。バラモンと王族はそれでもよいですが、平民と奴隷は止むに止まれぬ差別を受けなければなりませんでした。どんなに頭がよく有能であっても、奴隷の子供として生まれると生涯奴隷として生きねばなりませんでした。 ですから釈迦は彼ら全てを差別のない「解脱」の境地に連れて行こうとしました。

それが仏教の始まりであり、このように仏教は解脱のためにこの世に生まれました。すると釈迦の教えは跛行になってしまいました。あまりに解脱のみに偏ってしまったので、現実的に発展できないのです。 当時の釈迦はこのような自身の立場を「仕方がない」と考えていました。そのため釈迦は自身の不足さが終わる時期を見通しました。2500年後に解脱を探すための教えよりも、そのエネルギーを使用して現実を豊かで幸福に生きるためのエネルギーが波打つのを見ました。 そして、その教えを展開する人を釈迦は「慈氏仏」と言いました。「慈」とはまさに自ら作用を起こすという意味です。「慈氏仏」は自ら拘束されることなく宇宙自らを動かす作用を通じてより豊かで幸福に楽しい生を生きる道を教える人を意味します。 そしてその教えは「権能」となって、お互いに持っているものを前に争うのではなく、全てが豊かで幸福に生きることのできる、そんな「権勢」を享受するようになるでしょう。


■ 波動文明と『サイパワー』


そのためには、何度も繰り返して、拘束されることなく、霊魂に願うものを簡単に入力すれば、それが現実に現れる「宇宙の力」を使用すればよいのです。 霊魂は何度も繰り返すと刻印され自らを拘束しますが、このように「宇宙の力」を使用すれば、拘束されることなく誰もが簡単に願う生を享受し生きることができます。そしてこのように宇宙の力を使用することを『サイパワー』と言います。 『サイパワー』はまさに宇宙の力を使用して願うことを現実世界に創造する奇跡の力です。ですがその原理は簡単で、もし量子物理学者たちがこの事実を知れば、彼らは『サイパワー』が波動文明時代の結晶体であると話すでしょう。 これまで皆さんが生きてきた時代は、粒子文明時代でした。粒子文明時代は波動によって作られたものを前にして互いに争うそんな時代でした。ですが、波動文明時代はあなたと私がなく、より大きな波動を通じて新しいものを創造する物体以前の世界を言います。 2012年は粒子文明時代が終わり、新しい波動文明時代が到来するための『サイパワー』が誕生した年です。そして人類はこれまでしてきた苦悩から離れ、霊魂を通じて願うものを創造し、自意識はそれを享受し、幸福で健康な長生きするそんな生を生きるようになるでしょう。 ですから、皆さん方もこのような波動文明時代を受け入れて、幸福で豊かな、そして健康に生きられることを願います。そうすれば多くの人々が皆さん方を見倣い、皆さん方は未来の先駆者となるのです。 これまで生きてきた方式を全て捨ててください。心配をしたり悩んだりする生を捨ててください。(手で払ってすっかりなくしてください)そして何を願うのかはっきり考えてください。そして願うものを簡単に霊魂に入力してください。 そして入力したものは必ず成就すると信じてください。するといつの間にかそうなっていることでしょう。そうして考えは必ず楽しさだけを享受してください。

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